【ダンジョン飯】シスルとかいう想像以上においたわしい奴だったに対する読者の反応【ダンジョン飯反応集】

ネットの反応
「僕はもう何も要らないよ」が寂しかった。ダン飯ではライオスが言った通り、食は生の特権だからヤアドが進めた食事を断った、ってことは生を諦めてるんだよな…
「案ずるな。別に傷つけやしない」が本来の性格だったと思うと悲しい。
シスルは冒険者バイブルの、デルガルと生まれ故郷の菓子を食べてみたらメリニの菓子のほうがおいしくて、
お前の故郷もこっちってことにしとくかってデルガルの言葉に嬉しそうにしてたのが印象深い
「ダンジョン飯」って、「愛」故に道に迷い、そこを悪魔に付け込まれた人間たちの物語でもあるんだよなぁ。
これがあるから新OPでくるくる回ってるの見るといろいろ込み上げてくる
なにがお労しいって、「夕食には間に合ったんだな」なのよ
食卓に抜け殻だけ幽閉し、ライオスの忠告を(狂った形で)尊重し、
何もかも食い尽くされてなお残った心残りがさぁ…
その後で「僕は」もう何もいらないよ 丸丼先生エグいわ
お話としてはあのまま穏やかに事切れた方が美しいけど
ホントお労し過ぎてツラいから隊長と一緒に麺打とうぜ!!な?!!
シスルが最後にタヒんだからメリニにかけてた魔法が解けて浮上したんじゃないかな浮上の描写もあのシーンの直後だし
「狂乱の魔術師」という得体の知れない強大な存在のように伝えられていた男は、大切な人を守りたいだけの「ただの人」だったんだよな……
翼獅子に欲を喰い尽くされた末の虚無的な『なにもいらない』ではなく、逢いたかった友とまた出会い王国の民が幸せにしている姿を見て満ち足りた『もう、なにもいらない』なのが泣ける彼はただただ友と故郷の民を愛していただけだったのだと
デルガルの「大丈夫」という言葉でやっと満ち足りたシスルと、彼の本当の望みをようやく理解したヤアド。ヤアドが眠るシスルの名を優しく言った・・・と表情から「もう少し歩み寄って話し合えば、違った結末にはなったのでは?」という後悔が含まれているなと思いました。
あとこの動画のBGMのタイトル知りたいです。
「生」と「食」がテーマの漫画で名前がシスル(死する)なのは意図してつけたのかな
死んだのは確かだと思う、その上で黄金郷の人達よりひと足お先に塵になって亡骸も消えてしまったかも
死因はダンジョン内での死因だからダンジョン外での死は書いていなくて当然では
シスル/シセズは
ライマルあるよ/ないよと並んで盛り上がるテーマ隊長の死因は枠別に取ってちゃんとかいてあるね
エルフって長生きしてその分欲望が出てくるから悪魔につけ込まれやすいのかな
それはそうとシスルの最期は普通に泣いたわ。デルガルのために動いていただけだったのにどうしてこうなった…
デルガルの魂は既に消えてるけど、その肉体に入ったヤアドに記憶が一部受け継がれて
最後にシスルに語った言葉はデルガルの記憶から生まれたものだったりしたらいいなって想像してたよ
シスルたんこそリハビリ会が必要なんだけどな〜 デルガル(ヤアド)に見守られて安らかに眠る事ができて良かったと思うしかないか
欲望を食い尽くされて食事を取ることはもうできないことに加えて、デルガル(ヤアドだけど)と再開できて最後の望みが叶って満ち足りた(つまりもう生きる必要がない)ことで漏れた言葉。罰でもあり救いでもある結末…。
シスルは翼獅子に全部食われたから、隊長とは違って生きるための欲望も残ってないと推測してます。
なのであの後は何も摂取せず緩やかに息絶えたんじゃないかなぁって妄想を膨らませてます。
キレイな灰になって消えていった感じかなぁ…
ヤアドがデルガルの体に移動するシーンは必要か? と思ったけど
ラストにデルガルが看取る展開の為だったのは感心した
何も要らない、ってのは「欲望を食われた」「もう燃え尽きた」「望みは叶った」とか色々含みがあって好き
眠る様に息を引き取った、という展開が最も美しい。それ以外は蛇足だぞ
シスルのことを思うと涙がとまらない。
少なくとも黄金郷隆起時点では死んではいないと思う、ただそれは「脈があり呼吸をしている」というだけだけど
黄金郷隆起はシスルではなく翼獅子の影響だと思う
いいですか、シスルは「男の娘」ではありません。ここ大事なところです。試験に出ますよ。
そして、ミスルン隊長の初めての死因は別項目コラムできちんと書いてあるんだよなぁ。
シスルは冗談が通じないから…
シスルだけじゃなくて、悪魔にかかわった全員、一番の願いは叶わないけど、現実と自分の欲求をすり合わせて、別の生きがいを見つけめでたしにめでたしになるのがとても尊いんだ……。幸せは叶えてもらうんじゃなくて、つかみ取るものって感じなのが良い。
あしたのジョーと同じで真っ白に燃え尽きたのさ
アニメからダンジョン飯を知って漫画も読み始めで考察は甘いけれど。
翼獅子に欲求を全部喰われても、生きている限り欲求は生まれ続けるのならデルガル(ヤアド)の傍で余生を送って欲しいな。
喰われて失ったはずのデルガル王を思い出したのがそのきっかけであって欲しい。
シスルの最後は切ないよなぁ
ヤァドが噓を付いてデルガルと言い通す所も泣けてくる
「僕はもう何にもいらないよ」は欲望を喰われただけではないのだろう
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